京都ぶらり女の一人旅

京都四季折々・お祭り

京都 泉涌寺即成院・彼岸法要 9/22(※毎年同じ日程です)

f:id:ta0725:20190916063540j:plain

泉涌寺ゆかりの塔頭

寺名から「ぽっくり信仰」の寺、極楽往生祈願の寺として、また那須与一ゆかりの寺としても知られています。

f:id:ta0725:20190916063555j:plain

f:id:ta0725:20190916063607j:plain

「長わずらいをしない」ことから信者も多く、法要は地方信者のため泊まり込みの法要として行われるものです。

御詠歌に始まり法要、法話が続きます。

22日には中風除けの竹皮御仏飯が授与されます。

 

f:id:ta0725:20190916063638j:plain

那須与一


当院は別名那須与一さんと呼ばれるように与一ゆかりの寺としても有名である。

f:id:ta0725:20190916063658j:plain

与一は栃木県下野の生まれ、源義経の命により出陣の途中、都まできた時、俄かに病にかかり難儀したが、当院の本尊阿弥陀如来の霊験あらかたなるを聞いて参篭し、病気平癒の祈念の結果、忽ち本尊の利益が顕われて平癒した。

f:id:ta0725:20190916063710j:plain

与一は堂宇を再建し、本尊を念持仏として、小像に刻み、甲の中に納め出陣した。

特に屋島の戦では平家が軍船上に一竿を建て、竿頭に日の丸の扇を掲げ、これを射よとの挑戦に、義経は与一に射落とすことを命じた。

一心不乱に本尊阿弥陀如来の冥助を念じ、扇面をめがけて矢を放てば美事その要を射て平家水軍敗退の因を完遂した。

f:id:ta0725:20190916063723j:plain

戦の後与一は御礼言上の為上洛参内し、帰途伏見桃山即成院に参篭、武道を捨て入道し、小庵を結び朝暮信心怠らずお守りした。

その後病を得て文治元年(一一八九)八月八日逝去。

時に年三十四才であったと伝えられる。

境内の巨大な石造宝塔は与一の墓である。

 

f:id:ta0725:20190916063735j:plain

■場 所: 泉涌寺・即成院

■期 間: 9/22(※毎年同じ日程です)

     秋彼岸会お施餓鬼法要:24日

■アクセス: JR・京阪「東福寺」駅、市バス208「泉涌寺道

■お問合せ: 075-561-3443

■詳細ページ:http://www.gokurakujyoudo.org/

 

 

 


京都の古都なら:http://www.e-kyoto.net/